筆者本人はハートフルなつもりのミシャグジ様×ライドウさんの馴初妄想話/たまにR18展開
悪魔×ライドウどんとこーいの方はどうぞ



           夢幻の如くなり 一   





「どうした浮かぬ顔だ」
「……帝都に参ります前に、業斗先輩にはお話しなければならない事があります」
「先輩はよせ、ゴウトでいいと先程言っただろう」
猫の身だが肩が凝るわ、と黒猫は文句を言ったようだった。
見上げる姿勢がそうなのか、堅苦しいのが嫌だということなのか、少年には判らなかったが、
自分のお目付け役であるこの黒猫の言葉には、素直に頷いた。

少し肌寒い位の田舎の春の日差しの中、停車場へ向かう道すがら、一人の少年と黒猫が立ち止まった。
草がぼうぼうと伸びきった土手へと腰を下ろす様は、傍目には一息入れているだけにも見える。
が、黒猫はどこか思いつめたような目の前の少年の表情から、どうやら天気なんぞの話ではないと悟った。
「話とは?」
「……十四代目葛葉ライドウを襲名いたしましたが、ついぞ自分には悪魔召喚師としての経験はございません」
「謙遜はするな、円(えん)」
円と呼ばれた少年は、遠くの山を見つめながら、ただ少し困ったような顔をしてみせた。
「本当の事です」
「確かにライドウとしては、経験はなかろうが、お前、我等が知らないとでも思っているのか。
昔からお前には、不思議と悪魔が懐いていたそうじゃないか。その管にこそ収めはしないが、顔見知りは多いだろうが」
「……はぁ、まあ……それは……」
「……悪魔を管に収めるのが嫌か」
「……なんでもお見通しですね」
黒猫はふう、と小さく溜息をついたようだった。
「それをうぬの人徳で何とかしろ、時には鬼にならねばいかん」
「それは、承知の上です。自分が心配していることは、別の事で」
「……何だ」
そこまで訊ねてから、黒猫は改めて気付いた。
円の膝がガクガクと小刻みに震えている。
「葛葉にはもしかしたら黙殺されてきた事かもしれません、ですが……あの……ヤタガラスにはどこまで、
自分の事が知れているのでしょうか」
「……円、そこから先は声に出すな。話によってはお前の立場が悪くなる。心話で話すがいい」
「……承知しました」

少年は何を言おうとしているのか。
黒猫には判らなかったが、だとてこの目の前の新米を放っておく事は出来ないのだ。

少年はさりげなく黒猫に手を差し出した。
黒猫はその意を汲み取り、するりとその膝の上へと乗り、猫らしくにゃあ、と一言啼いて見せた。
葛葉の里とて、所詮ヤタガラスの領域。
修験場の最奥でも無い限りは、どこで視られているのかは知れぬのだ。

少年の手には一つの古びた札が握られていた。
そこそこに強い魔力を感じる。
自分が逢った事のある悪魔の中で言えば、中の上程の強さであろうか。とゴウトはそれとなく推測した。
だが、今の円に使役出来るような位の悪魔では無い事は確かである。
不思議とそこには何の文様も刻まれてはいないが、確かにそこにその悪魔の意思を感じた。

「これは何だ、円」
「とある、悪魔……といいますか、土地神様からいただいたお札です」
お互いの身体が接触しているので、いつもよりもクリアに聞こえる少年の淡々とした声と、
それとは裏腹に酷く乱れた心の動きが強く感じられ、ゴウトはその目を細めた。
「土地神?」
「はい」
土地神には正直、祟り神と分類されるモノも多い。
円は、そんなモノにまで懐かれていたのか。
その辺りに漂う小さきモノ位なら、まだ判る。
この十四代目は、先代とは違い物静かで穏やかな部類だ。性質も真面目過ぎるトコロが不安な位だ。
「……位は高い悪魔だろう、土地神とはいえ。つけこまれるんじゃないぞ」
「……」
「この札は、名刺代わりとでもいうのか……随分高く買われたじゃないか、ライドウ」
「……」
どこの土地神かは判らないが、こうして札を円に渡しただけで、何もしてこないという事は、
それだけ円の事を気に入ったという事なのだろう。現にそういう物好きな悪魔も居るには居る。
心配とはその事か?と問うても、少年の震えが収まることはなかった。
「円、お前、まさか」

高く買われた、と今自分が言ったばかりの言葉に、ゴウトははっと顔をあげた。
円は、泣きそうな顔をしていた。

「……つけこまれるなという……事に関しては、もう自分は手遅れなのかもしれません」
そして信じられないような事をぽつりと心の中で響かせた。
「葛葉の子が蛇神憑きとは、如何なものでしょうか」
「……蛇神か、その札」
「はい」
話が半分見えない。黒猫は鼻を鳴らした。
「まさかお前、何かをその札と引き換えにした訳ではないだろうな」
「そうかも知れません」
「他人事か。取引をしているかそうでないかにも因るだろうが」
「……」

自分達召喚師の悪魔との契約は、云わば一過性のもので始まる。
だが連れあううちに忠誠を誓う悪魔も居る。
だからこそお互いに見合った力量でしか、契約は出来ないのが常だ。

だが。稀に遥かに高位のモノから寵愛を受ける者も居る。
だがそれには、よっぽどの事情やら何やらが無い限りは危険を伴う「好意」なのだ。

「いったい何をした」
「何も……ただ、昔、一度諏訪の方のお宮に手伝いに出た事があります」
「諏訪だとぉ……」
思い浮かぶ心当たりに、ゴウトは軽く眩暈を感じた。
「その時、自分がお使いの途中で、足を滑らせまして」
「……ふむ」
「右足を挫いて困っていたところ、その……と、土地神様だという蛇神様が助けてくださいました。
はっきりとお姿を現して来たので、間違いはありません」
「で、その札をもらったと」
「はい」
「そいつは……」
「いけません、その名をお呼びすれば、土地神様はすぐにでも自分のところに来ると」
思わず頭に思い浮かんだその祟り神の名を思念に変えそうになった瞬間、
そういう事にだけは敏い円が慌てたようにゴウトの思考に割り込んで来た。
円にしては珍しく強引な遮り方に、その重大性を改めて感じる。
つまりは、そういうことだ。
「……円、お前、その時、本当にそれだけか、何か約束させられやしなかったか」
「あの……はっきりとは……何も……」
円の答えははっきりしなかった。その心の中を見透かしても、円の記憶には翳りが無い。

そいつは円の何が気に入ったのだろう。
いや、ただ、単に気に入られただけならいい。

「だが、円、お前は困っている、そうだな?」
「はい……まだ新米のサマナーがあんな高位の相手を使役する事は、できません。
ですが、あの土地神様の気配はいつもします。このお札から……ずっと自分を見て……いるようです」
「……多少厄介ではあるな」
「この先……自分がもし、あの土地神様を使役出来る程の、サマナーになれれば、とは思います、が」
歯切れの悪い円の言葉にゴウトは勇気付けるように励ますしかなかった。
「何を言うか、十四代目が。継いだのはお前だろう、そうなってもらわなければ困る。
円にはそれだけの見込みがある故、襲名出来たんだろう、しっかりしろ」
「しかし……このような前例はありません。むしろ、幼い子供が祟り神と言われるあの悪魔に気に入られて、
無事で居る方がおかしい、そうは思いませんかゴウト」
「……」
ゴウトは思わずその猫の目を見開いた。円は今度はじっとゴウトの目を見ている。

土地神様、と敬愛を込めてソレを呼ぶ円と。
あの悪魔、とサマナー然として言い放つ円の。

その言葉端しに現れるぶれが違和感を引き起こす。

一つだけ思い当たる。あの地には神降ろしの神事などというものがあった筈だ。
「円、お前、手伝いに出たと言ったな」
「はい」
「……まあ、いい考え過ぎかもしれぬ」
「ゴウトが考えている事は判ります。自分が手伝いに出たのはその為ですから」
「……そうか」

修行の一環として、そういう場に駆り出される事は多々ある。
昔なら本当に神主殺しが行われたという話も伝え聞く。
そのような場、故に葛葉の者が出向く事もある。
だが、大正の現在、そのような凄惨を極める儀式なぞは、かなり闇へと沈んだ筈だが。
その地でも最近はそんな話はとんと聞かないな、とゴウトはごちた。
「……円、今現在、お前が葛葉から何も言われていないのなら、それは問題が無いと考えないか」
「……そうなのでしょうか」
「何か起きたら、それはその時だ。お前一人ではない、俺も居る」
「……」
「お前がその身に直接、アレを降ろしたというわけではなかろうが、安心しろ、
来たら来たでむしろ改めて、サマナーとしての円として、契約をすればいい」
「そう……ですね」
「出来ぬ話ではない。実戦を経験すれば良いだけだ」
円の表情が、ほっとしたように少し明るくなった。
それを見て、ぴょん、と膝から飛び降りると、頭の上から、今度はいつものあの声が耳にはっきりと聞こえた。
「はい……ありがとうございます」
身体の震えも止まっているようだ。

無理も無い。これから帝都の一大事を片付けなければ成らないのだ。
この若き優秀なサマナーでも、経験の無い未知の事象を前にすれば、
小さな不安も大きく感じる事だってあるだろう。それを手助けする為に、自分はこの少年の傍に居る。
「さあ、行くか」
「はい」
黒猫は少年を促した。












それからしばらくの間、ゴウトは以前、円に見せられた札の事は忘れていた。
何故なら、その後円は経験をつみ、一度あの祟り神の一族と戦闘を終え、勝利した。
それ故ヴィクトルの業魔殿で例のアレが召喚出来るようになっても、
けしてその悪魔を召喚しようとはせず、日々淡々と任務をこなしていたし、
日々進展していく帝都の事件にも心を割かねばならなかったからである。

だが再び、円と帝都守護の任につき、再び一緒に行動するようになってから、
ゴウトは何か胸騒ぎのようなモノを感じるようになっていた。

円が、任務の途中に何度も気を失い倒れるのだ。
確かに今回の任務は長旅も有り、戦闘も苛烈をかねる。
後で聞けば、シナドに無理に意識を呼ばれているらしいが、それだけでは無いような気がする。

倒れる回数が多い。
鳴海やタヱ、それから凪というような身内だけならまだしも、先日は珍しく登校したが、
帰宅途中に、街中で昏倒し近所の住人に背負われて探偵社に運び込まれてきたのだ。

その時の円の顔色は、真っ青と言っていい程悪かった。
そして異常な程にマグネタイトの所持量が減っていた。
普段、異界でも無い街中であのように「ライドウ」が消耗する事は無い。

鳴海は、円をベッドに運ぶと脈をとり、怪我の有無を確認すると、すぐに医者を呼びに出たようだ。
「……」
ゴウトはその隙に、円が所持する封魔管のうち一つの封を解いた。
円が多分今一番信頼を預けている悪魔を一体解放する。
「あーん、もう酷い目にあったわ!って、あれ?ライドウちゃんは?」
勢い良く飛び出て来たのは、かなりレベルの上がったリャナンシーという女悪魔だ。
「非常事態故、解封した。何があったか教えてくれぬか」
「あら、お目付け役。そうそう、聞いてよ、アンタ、ライドウちゃんにもう無理するなって
言ってあげた方がいいんじゃなくて?」
「……どういう意味だ」
目の前の女悪魔は、一瞬いつものように高慢で狡猾そうな表情をして見せたが、
かといって逃げるわけでもなく、ただいつものように宙空で優雅に脚を組み、ゴウトを見下ろしていた。
彼女はゴウトに仕えるのではなく、あくまで「ライドウ」である円に従っているので、
これでもまあ譲歩はしてくれているのであろう事は判る。が、その歯がゆさにゴウトは内心気が気ではなかった。
「……あら、やっぱりライドウちゃん、倒れたのね」
「……倒れすぎだ、最近は。何があった。管以外のマグネタイトの残量が異常だ」
「管にも入れないで悪魔を手懐けて置くのは、サマナーというよりは生贄とか巫女がやる事じゃなくて?」
「どういう意味だ」
「そういう意味よ、もうイライラするわね!あのエロ祟り神、何とかしなさいよ。
じゃ、アタシもマグネタイト吸われたらたまんないから戻るわね。
お目付け役、蓋ちゃんとしめといてよね。乾燥は美容に悪いわあ〜あーもう」
「なっ……ちょっと待て……おいっ」
ゴウトが呼び止める間もなく、リャナンシーは、言う事は言ったわよ、とばかりに自ら管の中に戻ってしまった。
仕方が無いので、ゴウトはその蓋を閉めた。
猫の手がこんな時はわずらわしい。

「どういう意味だ。……管にも入れないで手懐けるだと……まさか」

ゴウトはベッドに力なく横たわったままの、円の衣服を物色した。
その時に、目の端を掠めたモノに、ゴウトは目を見開いた。

首筋に浮かぶ場違いに艶めいた痕は、何を意味しているのだ。

頭に血が上るのを感じる。
円も年頃ではあるが、そういう色事には全く無縁な筈だった。
本人もそちら方面にはあきらかに淡白な性質らしく、たまに鳴海のジョークとやらにも、困った顔をするような子だ。
叫び出したいのを堪え、ゴウトは目的のモノを探し続けた。
しかし、円の衣服や外套をいくら確かめても、あの忌々しい札は出てこなかった。
「円、円!起きろ、円!何があった」
「……」
何度呼びかけても、全く円は目覚める気配が無い。
何度も呼びかけているうちに、鳴海が医者を連れて帰ってきて、
あっさりとゴウトは部屋の外へと放り出されてしまった。あまりにもにゃあにゃあと啼くものだから、
煩いと医者に言われてしまったのだ。
鳴海はゴウトがただ円を心配しているのだとわかっているだろうが。
医者にはそんな事は伝わらない。
「くそ、忌々しい!」
せめて自分の声を仲介してくれる凪が傍にいれば、鳴海にも事の重大さが伝わるだろうに。

「サマナーのやることでは……無い……」
まるで生贄か巫女よ。と、先刻の女悪魔の言葉がゴウトの胸を抉るように蘇る。

いつだ。
いつから円は……。

こんな状態では任務にも支障が出る。それだけではなく、事の次第によっては、円の立場が危うくなる。
それは同時に、その命さえ危険だということだ。
このままの状態では、いずれ命を落とすような事になりかねない。

しかし今はどうする事も出来ず、ただゴウトは部屋の外で円が目を覚ますのを祈るしかなかった。




四半刻も過ぎた辺りで、ようやく円の部屋から鳴海と医者が出てきた。
「かなり消耗しておるようだ、暫くは安静にな。学校も休ませた方がよかろ」
「はい、そうします。ありがとうございました」
初老の医者もまた鳴海と顔見知りなのだろう、円の事については煩くは詮索などはしなかったが、
まだ若い円の事を心配しているのだろう、何度も鳴海に円を静養させるようにと念を押し、帰って行った。
ビルのエントランスから戻った鳴海に、円の部屋へ入れるようドアをつついて見せると、
ゴウトは鳴海にひょいと抱き上げられ、その思惑とは裏腹に事務所の応接室へと連れて行かれた。
デスクの上にゴウトを座らせると、鳴海もまたいつもの自分のチェアにもたれかかった。
「……ゴウトちゃんはライドウに何があったか多分知ってるんだろうねぇ」
「……にゃあ」
仕方が無いので、とりあえずゴウトは肯定の意味を込めて、ヒト啼きしてやった。
「任務にしては、最近のライドウは少し倒れる回数が多いね」
「……」
鳴海は多分、円の身体の事や、その立場も考えて、悩んでいるのだろう。
「報告した方がいいのか、悪いのか」
「……」
一番厄介なのがそれなのだ。ゴウトは、ふるふると首を横に振ってみせた。
通じるかどうかは判らないが、精一杯の意思表示だ。
今は、あと少し時間が欲しいのだ。

「やっぱまだしない方が、ライドウの立場的には良い事なのかねぇ」
「にゃあ」
「……ゴウトちゃんもそう思うか、じゃ、そうしましょ」
鳴海の言葉に、ゴウトは深く胸を撫で下ろす思いだった。

「だけど、今度また原因不明で倒れるような事が続いたら、流石に俺も報告は入れなきゃいけない」
鳴海はゴウトの言葉は解さないが、円が黒猫と意思疎通をはかっている事は、心得ているのだろう。
その表情はどこか苦しげだった。

たん、とデスクの上から飛び降り、ゴウトは円の部屋へと向かった。
背中に「お互い、中間管理職って辛いよね……」という鳴海の言葉を聞きながら、尤もだとゴウトは苦笑した。




部屋に入ると、円は静かな寝息をたてて穏やかに眠っていた。
傍らに置かれた見慣れた外套や武具が、円の青白い顔と相反して、異彩を放っている。
念のためゴウトはもう一度、円の持ち物を改めてみたが、やはりあの札は見つける事は出来なかった。
「……円よ、お前、一体あの祟り神と何を契約した?」
異常な程激減したマグネタイトの行方は、色々な事象から察するに、
あの祟り神への供物になったのだろうとゴウトは推測した。
封魔管を使わずに自らの身体に直接悪魔を呼ぶ手段を取る者も居る。
だがそれは祭りや儀式という一時的な一種、霊的に強力な依り処があってこそ、安定して成功する術だ。
デビルサマナーの使う封魔管は、日常的に悪魔を使役する為の簡易手段であり、
その手段も各自の力量によって制限がある。
円の封魔管には、もちろんあの祟り神は居ない。
ゴウトが最初に円に出会った時から比べれば、円の力量は遥かに高く、強い確かなモノになっている。
ヤタガラスから赦された円の封魔管の本数は、現在十五本とそれなりに多い。
円の元々持っている能力値もあるだろうが、それでもこの若きライドウの成長は著しいものだとゴウトは思う。
だが、その円が度々倒れる程消耗するとは、どういう事なのかが判らない。
円が召喚するメンツは、基本的にゴウトも把握して居り、
イレギュラーな召喚をするような無鉄砲を円はけしてしない。そういう子なのだ。

「だが……ならばどうして」

消えた札はどういう意味を持つのか。
悪魔からは、たまに名刺と称される証を手に入れる事はある。それは悪魔からのサマナーに対しての、
ささやかな好意であったり、忠誠の証であったり、ただのきまぐれであったりと様々だ。
ゴウトは円が幼い頃に何があったのかを問いたださねばならなくなった状況に、深く溜息をついた。

「葛葉の爺ども……知っていて見ぬフリをしたか……これは円に対する試練か?それとも……」
「……ゴウト」
「円……起きていたか」
「……今程……気がつきました……ご迷惑を……」
円が起き上がろうとするのを見て、ゴウトは円の身体を踏まない様ベッドの端に飛び乗り、それを制した。
「いい、そのまま寝てろ。どうせ起き上がる気力も残ってまい」
「……正直、情けない事ではありますが、その通りです」
円はいつものように少しだけ困ったような表情を浮かべ、静かに微笑んだが、
次の瞬間にはすぐに暗く沈んだ表情に戻ってしまった。
「……ふむ」
「すみません」
「いい、それよりも今一度お前に訊かねばならん、アレと何を約束したのかお前は覚えてないのか?」
「……」
「今日昏倒したのもシナドの所為ではなく、アレの所為ではないのか?」
「……」
円は無表情のまま、身動ぎもせずゴウトの言葉を聞いていた。
「否定も肯定も無しでは、こちらもどうして良いかわからん……何よりも、お前にだんまりを決め込まれるのは、
かなしい……なあ」
「……っ」
円は口元を僅かに歪め、きゅっと小さく唇を噛み、泣き出したいのを堪えるように少しだけゴウトから顔を逸らした。
「……なあ、円。お前が最初に札を見せた時、確かにあの時お前には何も気になるような所は見受けられなかった。
まあ、こっちも他人の心の中全てが判るワケではないがな。
だが、お前何か思い出した事があるのではないのか。もしくは……」
「……自らあの時の記憶に蓋をしていたのやも知れません。
最近まで、全く思い出せなかったのは、本当なのです。ただ……ぽつぽつと……思い出した事はあります」
壁の方を見つめながら、それでも円が搾り出すような声で自分の問いに答えてくれた事にゴウトは安堵した。
「そうか」
今の円にこれ以上話をさせるのは酷だとゴウトは思い、その晩はそこで話を切り上げる事にした。
「そうだな、明日にでも……落ち着いたら、話してくれ。学校は休めと医者も言っていた。
我等の任務も明日は、休息日と言う事にしようではないか」
「はい……ありがとうございます」
「もう休むとしよう、おやすみ、円」
「おやすみなさい、ゴウト」
今の円は無力と言ってもいい。
「何かあったら呼ぶがいい」
「……」

傍に居てやる方が良いのか、一人にしてやった方がいいのか。
どちらの手段をも強引に取れぬこの身体では、同じくどちらもどっちつかず。
ただ、いつもその心優しく在る聡明なこの若きサマナーである少年の心情を思えば。

「ゆっくり休め」

黒猫は微かに頷く少年を背に、独り気まぐれな猫を気取り、部屋の外へと続くドアを開けた。
そして静かにドアを閉め、その前でくるりと丸くなった。




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TEXT INDEX

2008/11/11